Scene19 1/3

 動物病院に駆け込む。
 自動ドアの向こうに立っていた、白い帽子のおばさんに肩をぶつけた。
「すみません」
 そのおばさんに頭を下げて、カウンターに向かう。
 なぜだかそこにいたのは、受付の女性ではなかった。あの獣医と、ケージに入ったモップだった。
 モップは動かない。僅かに鼻の辺りが震えたのを見て、安心した。ただ眠っているようだ。
 ポケットの中の紙幣を全部、カウンターに出した。
「これで、足りますか?」
 獣医は、少し困った風に顔をしかめる。どきりとした。これでも、足りないのか?
「あー、いいよ」
「え?」
 よく、意味がわからなかった。
「いいって?」
「必要なくなった。飼い主がみつかってね、もう治療費はその人から受け取った」
「見つかった、って」
「たまたま、心当たりがあってね。連絡したら、その人だった」
 ああ、そうか。
 やっぱりこの人は、誠実で。
 きちんとモップのことを考えてくれていて。
 やっぱりオレはただ、独りで空回りしているだけなんだ。
 脱力した。オレの身体が、ずっと遠くにあるように感じた。手も、足も、耳も、口だって、遠い。
 無理やりに、遠くにある口を動かして、尋ねる。
「その人は、信用できますか?」
 関係ないんだ、とオレはオレに言う。
 今はゲーム機も、オレも、どうだっていい。
 大事なのはモップだ。モップが助かるなら、それでいいはずだ。誰が救おうと。
「引越しをして、犬は飼えなくなったらしいよ」
 獣医の言葉は、相変わらず平坦だった。
「でも、実家のお母様が引き取ってくれることになっていたそうだ。移動の途中で、こいつが逃げ出して、探していたんだってさ」
 移動中。逃げ出した。
「どうして」
 納得できなかった。
「どうして移動中に、首輪を外したんですか」
 そんな必要、ない。紐を外した時でも、ケージに入れる時でも、モップが逃げ出したというだけなら納得できるけれど。
 どうして移動中に、わざわざ首輪を外す必要が、あったんだ。
 答えはわかり切っていた。
 獣医はやっぱり淡々と、そして誠実に答える。
「君のおかげだよ。たぶんね。君がいろんな人に飼い主のことを聞いて回ったから、きっとあの人はお母様に頼んだんだろう。ペットの命よりも外聞が大事な人だっている」
 ああ。そうなんだろうさ。
 カウンターの上の紙幣を掴み取る。
「ありがとうございました」
 この獣医にだけは、心から、頭を下げられた。


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