Scene19 3/3

 吉川の、奇妙に勇ましい背中に向かって、叫ぶ。
「おい! どこに行くんだよ!」
 彼女は小さな声で答えた。
「決まってるじゃない」
 なんにも、決まってねぇよ。
 この話はもう終わったんだ。モップが助かって、めでたしめでたしだ。その他に決まってることなんて、ねぇよ。
 もちろんモップの飼い主にはムカついた。
 できるなら一発、殴ってやりたかった。フルスイングだ。吉川だって、きっとそう思っている。
 でもそんなことをすれば、悪者になるのはこっちだ。相手は名目上、逃げ出した犬を探していただけだ。怒りのぶつけようなんて、ない。
 角を曲がると、白い帽子のおばさんがいた。耳に触る甲高い声で、別のおばさんと立ち話をしている。
「ええ、そうなのよ。どこかの子供が連れまわしてたみたいで――」
 吉川が足を止めたから、白い帽子がモップの飼い主なのだとわかった。
 この2週間、ずっと探していた、モップの家族。
 白い帽子は眉をひそめてこちらを見る。
 吉川の表情は見えなかった。ただ、震えるくらいに強く、両手を握りしめているのがわかった。
 ――ああ。ダメだ。
 きっと、吉川の怒りはとても純粋で、とても正常だ。美しくさえある。
 ――だけど、ダメなんだ。
 その純粋は、その正常は、その美しさは。
 きっと誰にも、伝わらない。吉川の方が悪者になる。
 どうしようもないんだ。その白い帽子は一度、モップを捨てたけれど。間違いのない悪者だけど、それでも正当なモップの家族だ。オレたちにはなんにもできない。
 わかっていた。
 なのに、吉川を止めようとは思えなかった。
 ――殴るなら、オレだ。
 そう決める。この純粋で正常な少女を悪者にする気にも、この綺麗な怒りを抑えつける気にもならないのだから。
 ――先にオレが、あの白い帽子を殴ってやる。
 覚悟を決めて足を踏み出した、時だった。
 吉川が、叫んだ。

「あの子を、よろしくお願いします!」

 大声。空気が震えた。耳が痛い。
 思わず微笑む。
 ああ、こいつは、なんて。愛おしいくらいに、馬鹿なんだ。
 なんてまっすぐに、人の罪を裁くんだ。
 深々と頭を下げた吉川から、大粒の涙が零れ落ちた。
 白い帽子が顔を引きつらせる。
 彼女は何度か、口を開きかけたが、結局何も言わなかった。何かを言えるはずもなかった。

 その時のオレは、白い帽子のことも、ゲーム機のことも、モップのことさえ考えていなかった。
 もしもこいつに、色々なことを話せたなら。
 ――オレの母さんにも、同じことを言ってくれるかな。


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